ゴールデンウイークから気候もやっと落ち着き、暖かくそしてすがすがしい毎日が続いております
先回更新しました店長日記をご覧いただき、ある方からこのようなコメントをいただきました・・・
『野村さま・・・・
筍の皮に梅というスタイルは
私の子供体験の重要なひとつです。
私の生まれは栃木県の**********(割愛)*****
春先のシーズン、おやつは筍の皮に梅を包んでというのが定番で
チューチューと酸っぱい液を吸いながら遊んだものです。
最後は梅の種の中に入っている実を取り出して食べるのが楽しみでした。
野村さんとは意外に年齢が近いことを嬉しく思いました。
******************(割愛)****** 』
やはりタケノコの皮に梅干しチュウチュウを懐かしいという方が
いらっしゃいました
栃木のお生まれということで、やはり関東圏だけでの習慣なのでしょうか?
コメントにもあります最後は種を割って・・・という文を読み、
たしかに私たちも梅干しの種をさんざん口の中で転がしたあとで割り、
殻は吐き出し中心にある白っぽくて柔らかい部分だけを噛んで
飲み込んでおりました
この方は私よりひと回りはお年が離れていらっしゃると思いますので、
タケノコの皮チュウチュウ世代はひょっとすると私ぐらいが最後の世代
なのかもしれません
そして昨日には、仙台にお住まいの方よりたくさんの春の味覚が
届きました
毎日空調の効いたビルの中で働く私にとって、四季折々の季節感を
感ずるのが旬の食べ物・・・ということをお読みいただいたのか、
新鮮な筍・タラの芽・胡桃の芽・蕗が沢山入っておりました
春の山菜と言えば、20代独身のころに出向先の百貨店勤務の為に
赴任しておりました愛知県豊橋市で、独身一人暮らしという
生活を不憫に思っていただいたのか、百貨店の外商部員をはじめ、
館内の親しくなった食品や家庭用品などの各売り場の社員さん、
更には外商先のお客様のお宅などでも夕食にお呼ばれをすることが
段々と増え、一人暮らしの淋しさと経済的な理由から、二つ返事で
厚かましくも4年弱の間各ご家庭の味をご馳走になりに渡り歩いていた
ことを思い出します
その各ご家庭にて、生まれて初めていただくタラの芽やふきのとうなどの
山の野菜を使った数々のお料理をいただきました
いつものようにちょっと話が脱線しますが・・・・・
愛知県豊橋市・豊川市近辺の東三河地区は、東に浜名湖、
西に蒲郡市や岡崎・豊田市、北に新城市・鳳来町・作手村、
南に渥美半島先端の田原町・伊良湖岬と海と山に四方を囲まれ、
大変風光明媚な地域で、特に尾張地区である名古屋市と同じように思われて
いる方が多いのですが、浜名湖西域の湖西市あたりは三ケ日みかん
(もちろん鰻も有名なのですが)、そして西側の蒲郡市ではみかんは
もちろんのこと、ちょうど私がいたころに新種のセミノールや
キウイフルーツも作られはじめられていたぐらいに気候が温暖で、
名古屋とは違い雪もほとんど積もらず一年を通じて大変暮らしやすい所でした
豊橋は昭和30年当時人口20万人程度の都市だったそうで、
お隣の浜松市も同じ規模だったのが、現在は38万人と82万人という
差になっていることからも豊橋は昔ながらののんびりとした町と
言えるかもしれません
そんな地域で地方での暮らしを満喫しておりましたので、
この豊橋暮らしの間に自分の中で豊かな暮らしとは何?という視点が大きく変わりました
毎日の外商活動の道すがら、川棚から上がったばかりの岩魚やヤマメを串に刺して
塩振りして焚き火であぶって売っている店先で齧り付いたり
(テレビでしか見たことがなかったので一度やってみたかったのです・・・)、
農家さんで完熟状態まで生育したイチゴをつまんでびっくりするほどの美味しさに感激したり、
更には渥美町や豊橋天白地区で初めてスイカがゴロゴロとなっている畑の姿に嬌声をあげ驚かれたり
(地元の方に木からぶら下がって成っているとでも思ってたのか・・・といわれました)、
おみゃあさん仕事ちゃんとしとったか?・・といわれそうなぐらいに
楽しい独身青春時代をおくっておりました
・・・・・話を戻して
そんなことから送っていただきました蕗は煮物に、筍とタラの芽、栗の芽を
家内に天麩羅にするように頼み、昨晩は8時の閉店とともにシャッターを
降ろし一目散に帰宅いたしました
美味しいものを食べて感激を体験すると、さらに好奇心からそれらのものを掘り下げ、その結果各地の旬の味や伝統的な調理法には知れば知るほどその地域としての文化・風土や気候、そして時代背景や歴史が絡んでいることがわかり、そしてこれらのことは実のところジュエリーもまったく同じ構図と思っております
浅学非才の私は様々な事柄について、もっと学生時代にまじめに取り込めばよかったと後悔をする毎日です
いまにして思えば、これらの地理や歴史など様々な事柄を学ぶにあたって、学校の試験や単位のためという入り口からの扉でなく、どうしてこんな素材が・・・、どうしてこんな料理が生まれてくるのだろう・・・という興味から入る扉の方が動機付けとしては自然に入り込めたのにと感じております
そんな好奇心と探究心により、美味しい食事も、素敵なジュエリーも更にもう一段と奥深く味わい深いものになりえます
皆さんがジュエリーを見てひとつひとつその思い出や手に入れた経緯を思い起こすように、昨晩仙台の方にいただいた山菜の天ぷらを食べ美味しさに舌鼓を打ちながら、私は豊橋時代の懐かしい思い出やお世話になった方々のお顔を目に浮かべておりました・・・・