この夏の暑さも遠い記憶となりはじめ、スポーツに行楽に絶好のシーズンになりました
私も毎年秋のこの時期には、横浜駅東口前にて商いを営む様々な業種の方々とご一緒に一泊ニ日の旅を恒例としております
今年は「三方よし」の商いで有名な近江商人(日野・五個荘・近江八幡)の地のひとつである、滋賀県近江八幡市へ先週行って参りました
近江八幡の思い出といえば、豊橋と名古屋でのサラリーマン時代に可愛がっていただいたお客様ご夫妻に、和食の世界ではその名が知れ渡る『招福楼』さんに何度か運転手代わりという名目で連れて行っていただいた上に結婚後は家族までもお招きいただき、現在高校一年生になる長男がまだ生後一歳未満の時にお邪魔した際には、食事の間中ずっと招福楼の若女将さんに抱いてあやしていただいて、お召しの高価であろう和服をよだれで汚しやしないか心配したことなどが懐かしく蘇って参りました
また私が大学卒業後に社会人として第一歩を踏み出した、昔風にいえば丁稚奉公の4年間を勤めた会社の社長さんも近江八幡ご出身で、ビデオで見た「てんびんの詩」のような問答を社長室に立たされながら毎日のようによく受けた記憶があります
近江商人は各地の主要都市に積極的に出店をし、江戸には大店(特に日本橋界隈)を開いて天秤棒ひとつで全国を商圏とし、地元八幡には営業本部となる本宅や本店をおく方式が特徴のようです
中には現在のベトナム(安南)やタイ(シャム)にも商機を見いだし一早く進出した方がいるそうで、さすが楽市楽座からの自由経済発祥の地と感心いたしました
▲大文字屋 西川利右衛門邸に飾らていた家訓のお軸
『先義後利栄』 『好富施其徳』
商いは利益を追求する事が第一でなく、常についてまわるものであるので、義理人情を第一とし利益追求は後回しにすることが商売繁盛となり、得られた富に見合った人間形成を行え という意味だそうです・・・真理です
▲左:織田信長時代から伝わる春の訪れを告げる左義長まつりという火祭りがあり、城下町各町から13基の御輿のように担ぐ左義長が作られ、正面にはだしと呼ばれるその年の干支にちなんだ飾りものが豆や昆布、するめなどの食材を使い作り上げられるそうです。写真の展示用模型の虎も目だけは飴玉だそうです
右:新町通りに並ぶ商家には、塀越しにのぞく「見越しの松」と隣りの商家との間に一段高くした防火壁となる「うだつ」があり、皆様ご存知の文字通り各商家とも「うだつ」をあげられておりました
街並みもいまだに年中映画や時代劇の撮影に頻繁に使われるだけあって琵琶湖に繋がる八幡堀と呼ばれる水路を中心に大変風光明媚な場所でしたが、今回地元のガイドさんから聞いたところでは、この水路により上方から江戸へ向かう「下し荷」と地方から上方や近江に送られてくる「登せ荷」の物産の出し入れがあるために沢山の人も出入りをし、各地の生の情報が集まることこそが商機を逃さぬ情報収集となり、まさしく現在の市場調査そのものだったようです
そして当日はびわ湖温泉『旅亭 紅葉』に宿泊しました
この素晴らしい旅館(…と言ってもホテルのような大施設なのですが)を選んだのにも理由があり、今年はじめにTBS系で全国放送されました「報道特集NEXT」番組内で紹介された台湾からの留学生に日本特有の旅館流おもてなし文化を伝える修行物語の当事者でいらした支配人さん(現在は正式には営業推進部リーダーという肩書きだそうですが)から、異文化で育った方々との半年間の実体験に基づくお互いの感覚の違いや苦労話などをお聞きすることがメインでした
そして翌日はこの7月にオープンしたばかりの滋賀竜王アウトレットパークを視察し、また地元名産の近江牛も堪能したのち、たくさんの警察官やSPらしい人たちが物々しく警戒する米原駅より、皇太子殿下とご一緒の新幹線にて帰宅の途につきました
京都や奈良に比べ滋賀県は地味な印象がありますが、名古屋時代に紅葉を見によくドライブした永源寺あたりの湖東三山や彦根城下など、わたくしの好きなお勧めのエリアです・・・
▲左:郷土資料館に展示される初期のレジスター
右:見ただけではなんだかわかりませんでしたが、練炭を作る型だそうです。
ご一緒した方の中には練炭自体を知らない世代の方もいらして、頷く自分に気づいて年齢を感じてしまいました…
▲左:数珠屋さんが実際に使っていた看板だそうで、いまでも通用するどころか現代の方が目を引きそうです・・・
右:歴史を感じる壁掛け時計、精工舎(現在のSEIKO)ブランドでした